写真:平和祈念公園
立夏の候 天候には少し振り回された感がありましたが,沖縄をゆっくりめに旅行してきました、お変わりありませんか?
那覇空港に着き最初の宿泊地、本部町(もとぶちょう)へ2時間強のバス移動。海洋博記念公園でバスを降り、迎えにきてくれたゲストハウスのスタッフの車でゆんたくゲストハウス ワンストーリーズへ。ゆんたくゲストハウスと謳っているとおり、第一日目まずは17人のゆんたく(食事会)に参加。チェコとドイツと韓国から一人ずつ来ていて,日本人も半数以上が英語を話せるインターナショナルなゆんたくでした。
2日目はオープン1周年記念の地元の人も加わる20数名の特別なゆんたくでした。毎晩パーティをしていた感がありましたが、2日目は美ら海(ちゅらうみ)水族館、古宇利島(こうりじま)にも行きました。(下記YouTube参照)戦争の爪痕や基地の雰囲気はあまり感じられない最初の2日間でした。
次に向かったのが恩納村(おんなそん)、ここは村の3割を基地が占めていて外国人(基地関係者も旅行者も)が多かった。恩納村では天気があまり良くなさそうだったので、着い日に万座毛と万座ビーチを訪れました。翌日はやちむんの里と座喜味城跡を訪れようとしましたが、天候が悪く午後早く宿舎に戻りました。恩納村はビーチが連なっています。天気が良ければビーチを巡り、ランキング表を作ろうかと思いましたが、天候に恵まれなかった。代わりといっては語弊がありますが、宿泊した母娘で営むペンション ウィークエンドが素晴らしかった。特に地産地消、ナチュラル指向の料理は繊細で、母娘の静かなホスピタリティも心地よく、ペンション派にはオススメです。
次の移動先コザ(沖縄市)は、コザ暴動やゴザゲート通りなど基地関連の雰囲気が強いと予想していましたが、予想に反してあまり感じられませんでした。コザの中心街や沖縄市役所を歩いた他は、首里城や斎場御嶽(せーふぁうたき)に足を伸ばす拠点として活用しました。
4カ所目が那覇。那覇では、平和祈念公園、ひめゆりの塔、沖縄県立博物館・美術館、玉泉洞(おきなわワールド)に行きました。最初に行くべきところが最後になってしまいましたが、時間的順序より思念的順序を優先して良いと信じます。平和祈念公園及びその周辺には各都道府県の慰霊塔をはじめ、あらゆる慰霊塔がありました。やはり、沖縄が国内最大、最も悲惨な激戦地であったことを物語っていました。天皇皇后両陛下(当時皇太子)の訪問の慰霊碑もありました。両陛下にしたら一般国民の遥かに何万倍ものつらい訪問だったろうと察せられました。
本島中部の嘉手納基地や普天間基地の近くでは戦闘機や軍用機の爆音が時々連続して轟きました。成田や羽田で聞く旅客機の音とはdBも周波数も違いました。また,スピードも桁違いで、あっという間に雲間に消え去って行きました。それも、何機も続いて。基地の近くの住民には耐えられない環境だと認識しました。本島の20%が基地および関連区域で入れない、Googleマップを見ても住所が表示されない。
では、沖縄問題はどうしたらいいのでしょうか?まず,二つに分けて考える必要があると思います。激戦地となった太平洋戦争の傷跡と現在の基地問題。前者はロケーションが最大の要因で、ここを最終防衛ラインとしたのはロジカルな結論だったと思われます。残る問題はいつ,降伏をすべきだったのか,遅すぎたのではないか、民間人を巻き込みすぎたのではないかです。そこには琉球史や県民性はあまり関係なく、軍司令部の一種の狂気だけを感じました。
基地については、占領後の冷戦およびベトナム戦争への対応で、占領地沖縄で基地を急速に拡充させたのは、これもロジカルにしょうがなかったと思われます。では、ここまで、巨大化し発展した基地装備設備をどこに分散・移転できるでしょうか?物理的にも経済的にもそして多分、軍事的にも難しいと思われます。地球から戦争を無くさない限り、軍備を縮小することが可能にならない限り不可能でしょう。さらに,日本単独で決められない。日米同盟があり、米国は大国として相手国に呼応して軍備を増強する必要に迫られます。ヒトが戦争をやめない限り、永久に基地問題は無くならないでしょう。すなわち、沖縄基地問題は解決しないのではないでしょうか。
沖縄が悲惨な体験をして、現在も基地問題に苦しめられる現状に、沖縄の宿命を感じてしまいます。うちなんちゅにはとても申し訳ありませんが、宿命は否定しても、消そうとしても、無くなりはしません。沖縄に留まる人は留まり、離れる人は離れる。逆に沖縄に移住する人は移住する。それも宿命なのではないでしょうか。
人里を離れると亜熱帯性のジャングルがあり、寒暖差は小さく20-25度くらいの間で変化していました。日差しは4月でも強いです。雨の前後などは湿度も高い。天候は変わりやすい。 きれいな海ですが、うちなんちゅは仕事以外ではビーチに来ないのではないでしょうか。砂浜で遊んでいるのは旅行客と思われる人や外国人ばかりでした。那覇市の中心部の交通渋滞はひどく、直接排気ガスの匂いが感じられるほど空気は悪かった。国際通りやショッピングモールを訪れるだけだったら那覇市内に泊まる必要はないと思いました。
過去の悲劇は忘れず,日常の基地問題と接しながら、沖縄の人々はゆっくり生活していて親切でした。リゾートの美しさ,自然と同居、のんびりした雰囲気もあり、ゆんたくの交流や音楽・芸能もさかんでホスピタリティに溢れる。沖縄にはこれらの要素が複雑に混在しています。