六甲枝垂れ内部
穀雨の候 お元気ですか?桜を少し長めに楽しめた代わりに天候には少し振り回された感がありました、体調を崩していませんか?
4月20日から沖縄に行きます。およそ50年ぶりの沖縄です。
沖縄旅行の4大テーマ、重要な順に挙げると、
1.国内最大の太平洋戦争の激戦地
2.国内最大の基地所在地
3.亜熱帯風土,自然
4.芸術・文化・歴史・県民性(ゆったりやさしい友好的⁈)
4テーマのうち上位2つは戦争・軍事関連です。民間人を巻き込んだのは牛島軍司令官と長参謀長に責任があるとされますが、この二人も軍トップの指示に忠実に従っただけとも言えます。もし、民間人に多くの犠牲者を出さずに投降を呼びかけていたら、後世に評価されたかもしれませんが,上官の命令に従わなかった(抗命罪)として軍法会議にかけられ処分されていたでしょう。形式の上とはいえ、軍の最高司令官は昭和天皇であり,兵士も国民も天皇の名の下に侵略し、戦い、耐え、死にました。降伏を決断したのも、私の知る限りは天皇でした。
16歳の春に初めて一人旅で沖縄に行きました。返還された翌年1973年です。その頃は、なぜ沖縄だけ占領されたのか、戦後30年近く経って返還された経緯は、「アンポ」って何、という問題意識があったわけではなく、当時自分が行ける最も遠くが沖縄だったからです。(^o^)
西鹿児島まで急行[桜島」で26時間かけて行き、お昼頃に着いて夕方の出港にゆっくり間に合うはずが、当時国鉄の激しかった順法闘争にぶつかり、西鹿児島の駅に着いたのが出港間近で,タクシーで鹿児島港に行った記憶があります。結局船には間に合いました。間に合うように西鹿児島駅に着くようにしたのかもしれません。フェリーが待ってくれたのかもしれません。当然,急行「桜島」→フェリーで那覇、という旅程の人は少なからずいたでしょうから。
沖縄はそれ以来です。やはり、沖縄というと戦争の悲惨な記憶が真っ先に頭に浮かびます。沖縄県出身の芸能人や高校球児が活躍するたびに、戦争末期の悲惨な出来事とつい重ねて、一般本土人の負目から応援してしまいます。ときどきの、彼らの神がかり的な活躍は、悲惨な記憶をしばし忘れさせてくれます。
起きてしまった過去の出来事、現在のどうしようもない基地問題、私は何も言う立場にも、できる立場にもあらず、よって批判もせず、ただ黙っていることしかできませんが、不公平であり不条理の原因のほとんどはロケーション(中央政府からの距離含む)なのではないかと思わずにはいられません。残りはほんの少しの、県民性、問題は一箇所にまとめたほうが簡便、歴史などが理由ではないかと思います。
何を感じて沖縄から戻ってくるのか?(何も感じずに戻ってくるのか!)(^o^)